ソ連が消したユダヤ人虐殺の記録『ブラック・ブック』

バビ・ヤールの悲劇

 ロシアのウクライナへの全面侵攻が始まり1週間が過ぎた。ウクライナ側の抵抗で進軍は遅れているが、首都キエフの占領は避けられない見通しだという。ウクライナは第2次世界大戦でドイツに国を奪われた時も悲惨な体験をしているが、その傷も癒えぬまま、新たな戦禍に巻き込まれてしまった。ロシアの侵攻が激しさを増す今、80年以上も前のナチス・ドイツの侵略について語る時ではないかもしれないが、戦争につきまとう犯罪に警鐘を鳴らすためにも、当時なにが起きたのが振り返っておきたい。

 キエフナチス・ドイツに占領されたのは独ソ戦開始から3カ月後の1941年9月19日のことだ。南部戦線の要衝を失ったソ連軍は総崩れとなり、ウクライナ東部でも劣勢を強いられていく。このキエフ陥落から3日後、市内の主だったビルの壁に新聞が張りだされ、ユダヤ人、共産主義者共産党委員、パルチザンは殲滅されると告げられた。その翌日、中心地の広場などに集められたユダヤ人に見せしめの集団暴行がされ、ユダヤ人の老人や子どもの死体がドニエプル川を流れているのを多くのキエフ市民が目撃している。市内各地にあったシナゴークに集まった人たちはドイツ軍とその指揮下に入ったウクライナの警察に取り囲まれ、一人残らず連れ去られた。街を走る街宣車は「共産主義者パルチザンユダヤ人がどこにいるかゲシュタポと警察に通報せよ」と警告し続け、ユダヤ人らしき通行人は映画館などの公共施設にかたっぱしから閉じ込められていく。彼らはその後、集団で殺害されたものとみられる。

 外出を控えていた人たちも次から次と家から連れ出され、もはや逃げ場を失っていた。あるユダヤ人の家族は地下室に数日隠れていたが、母親が2人の子どもを地方に連れ出そうと街に出たところドイツ軍に捕まってしまう。2人の子どもは母親の目の前で首を切られ、泣き叫ぶ母親と駆けつけた父親もその場で相次いで射殺された。この他にも、家に隠れていた高齢の女性が3階の窓から放り投げられるなど、残虐な殺害がいたるところで目撃されている。しかし一連の殺戮は大量虐殺の序章でしかなかった。ドイツ軍占領から1週間たった9月27日から28日にかけ、街のいたるところに次のような張り紙が出される。

キエフのカイク(ユダヤ人)は包囲されている! 9月29日月曜日の午前7時までに、所持品、所持金、書類、貴重品、防寒服を持参し、ユダヤ人墓地の隣にあるドロゴジスカヤ通りに集まれ。姿を見せなかった者は死刑に処す。隠れているカイクは死刑に処す。

 29日早朝、指定された場所にキエフユダヤ人たちが続々と集まってきた。地方で強制労働をさせられるものと思って集まったのだが、移送が死を意味することを確信していた人たちの多くは、その日のうちに自殺したという。そしてドイツ軍の厳重な警備のなかで、近郊にあるバビ・ヤールという谷に向かう数万人の死の行進が始まった。

 証言によると、バビ・ヤールに着いた群衆はドイツ軍が設置したバリアの前で待たされ、30人から40人ずつ「登録」のためバリア内に連れていかれた。そこで老若男女を問わず全裸にされると、持参した旅券や証明書などの書類、衣類、貴重品が没収され、処刑場であり死体処理場でもある谷に連れていかれた。機関銃の一斉射撃で人々は谷底に転げ落ち、小さな子どもたちは生きたまま投げ捨てられた。貴重品や脱ぎ捨てられた大量の服はどこかに持ち去られたが、没収された書類はその場で捨てられ、あたり一面に散乱していたという。流れ作業のような冷酷な処刑は延々と続き、29日から30日のたった2日間で3万人以上もの人が犠牲になった。ナチス・ドイツが行ったホロコーストの中でも最も残虐な戦争犯罪が、このバビ・ヤール大虐殺だ。

 犠牲者の数があまりにも多いため、奇跡的に生き残った人の証言も何例か残されている。4歳の娘を連れていたエリナ・エフィモヴナ・ボロジャンスキーという女性の場合、深夜になって処刑場の前に立たされた。射撃の号令が出る直前、彼女は死体が積み重なる谷に娘を突き落とし、続いて自分も飛び降りた。射撃音とともに射殺された人たちが次々と落ちてきて、2人は死体の中に埋まってしまう。処刑はその後も何度も繰り返され、彼女は娘が死体の下敷きになって圧死しないよう、血まみれの死体の中で隙間を作るのにありったけの力を注いだ。誰かが死体の上を歩き回って銃剣でとどめを刺しているようだった。彼女はあたりが静まり返ってから死体の山からはい出し、娘を連れて数キロ離れた民家の住民に助けを乞い、生き延びることができた。

「本は破壊された」

 ナチス・ドイツユダヤ人虐殺を告発するため、戦争末期の1944年から終戦直後の1946年にかけソ連で作成された『ブラック・ブック(The Black Book)』という本がある。ロシア西部、ウクライナベラルーシラトビアリトアニアエストニアなどドイツが占領したソビエト連邦内で収集された被害者や生存者の手紙、日記、メモ、証言などをもとに、40人以上の作家やジャーナリストが執筆にあたり、当時の著名なソ連ユダヤ人作家、イリヤ・エレンブルグ(Iliya Ehrenburg)とヴァシリー・グロスマン(Vasily Grossman)が編集を担った。上記のキエフとバビ・ヤールに関する内容は、同書のウクライナの章で最初に紹介される「キエフ、バビ・ヤール(Kiev,Babi Yar)」という記事から引用したもので、執筆者のレフ・オゼロフ(Lev Ozerov)教授はキエフ生れのユダヤ人の詩人・翻訳者であり、後にバビ・ヤールの詩も残している。

 戦争犯罪の記録で埋め尽くされたブラック・ブックは、ホロコーストの現場で起きた事実を知る上で第一級の史料として知られる。ところがソ連は、自らの成果であるはずのブラック・ブックの出版を禁じ、ユダヤ人大量虐殺の歴史的事実を隠蔽した。600万人のホロコースト犠牲者のうち270万人もの人がソ連で犠牲になったにもかかわらず、体制正当化のプロパガンダにさえ使わなかったのだ。

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イリヤ・エレンブルグ The Mystery of the Black Bookより

 ブラック・ブック編集の中心人物だったエレンブルグは、独ソ戦開戦当初からドイツ軍の犯罪とユダヤ人の悲劇、レジスタンス活動に関する記事を書いていたため、赤軍兵士たちが戦場で入手した日記やメモ、写真などの資料が彼のもとに送り届けられるようになったという。彼自身がドイツ兵捕虜の尋問もしている。出版を目指したエレンブルグはモスクワの「ユダヤ人反ファシスト委員会」(JAFC:Jewish Anti-Fascist Committee)の傘下に文芸委員会を立ち上げ、グロスマンの参加により編集が本格化していく。未完成ながら本の編集が終わったのは1944年の初めで、内容の一部はソ連の雑誌に掲載されたという。エレンブルグは当初から複数の言語への翻訳を意図し、特に英語版の出版に向け米国のユダヤ人団体との接触も果たしていた。

 だがJAFC文芸委員会の活動は突如、中止に追い込まれる。エレンブルクは共産党機関紙「プラウダ」で、ファシストのドイツと民主国家のドイツ(東ドイツ)を区別しなかったとして厳しく批判された。エレンブルクは当時、編集に参加した知人への手紙にこう記している。

ロゾブスキー(ソビエト情報局長)はブラック・ブックの出版をJAFCに委ねることに決めた。したがって私が出版の準備のため作った文芸委員会の活動は中止になる。君が委員会に参加してくれたことには心から感謝している。君が成し遂げた仕事が歴史から消え去ることはないと確信している。

 ソ連は当時、戦時中に設立した「非常国家委員会」(Extraordinary Commission of Ascertain and Investigate the War Crimes of the Fascist-German Invaders and Their Accomplices)の解散を命じ、ユダヤ人絶滅政策を含むドイツの戦争犯罪に関する調査を中止させていた。東ドイツ共産主義陣営に組み込んだソ連にとり、過去のナチスの犯罪は政治的な価値を失い、むしろドイツとの善隣友好に障害になると考えたようだ。

 文芸委員会の解散後、JAFCは原稿になんらかの修正を加えることでロシア語版の印刷にこぎつけている。しかしロシア語版は「JAFCが解散させられた1948年末、本は“破壊”された」とエレンブルクが書き残しており、ソ連での出版の道は完全に閉ざされたばかりか、その痕跡さえ消されてしまう。

 だが同種の修正版は1946年に米国、イスラエルルーマニアユダヤ人団体にも送られていた。イスラエルではホロコースト犠牲者を追悼する国立記念館「ヤド・ヴァシェム」で出版が準備されるが、失われていた文章が多く、ロシア語による同書の復元に時間がかかった。ソ連各地域の人たちの犯罪の加担に関する資料も実質的に残っておらず、不十分な面もあるという。冒頭の記述はその英語版を閲覧して引用した(https://archive.org/details/TheBlackBookOfSovietJewry/mode/1up?view=theater)。

ブラック・ブックに潜むミステリー

 イスラエルドキュメンタリー映画製作者ボリス・マフッシール(Boris Maftsir)が2014年から始めたプロジェクト「失われたホロコーストを探して」(https://holocaustinussr.com/)を通して、旧ソ連地域で起きた知られざるホロコーストの実態に迫る作品を相次いで発表している。旧ソ連ラトビアで生まれたマフッシールはシオニズム活動でKGBに逮捕され服役した経験があり、ユダヤ人社会を抑圧したソ連に関心を持ち続けている。前述した通り、ソ連ユダヤ人虐殺の事実を実質的に隠蔽したため、ソ連の影響下にあった東欧諸国ではホロコーストの実態があまり知られてこなかった。ソ連崩壊後に本格的な研究が始まるものの、全容解明にはほど遠いのが現実だという。

 マフッシールはかつての虐殺現場をくまなく歩きまわり、高齢になった目撃者たちに、その時なにが起きたのか尋ねていく。ユダヤ人虐殺を担ったドイツの機動殺害部隊「アイザッツグルッペン」が西ウクライナ各地で犯した虐殺を追った「The Road to Babi Yar」(2018年)や、ドイツと同盟関係にあったルーマニア軍のウクライナ侵攻の過程で起きた虐殺に迫る「Beyond the Nistru」(2016年)など、耳を疑う虐殺の数々が証言され、戦争犯罪の恐ろしさを改めて思い知らされる。

 シリーズ「失われたホロコーストを探して」は最新作「The Mystery of the Black Book」(2019年 予告編 https://www.youtube.com/watch?v=Zvb4RmrnruI)でブッラク・ブックにも焦点を当てた。まだオンラインで公開されていないので内容を確認していないが、題名が示す通り、ブラック・ブックがソ連で出版禁止になった謎に迫る作品であるようだ。東西冷戦下の東ドイツとの善隣友好が出版禁止の背景とされてきたが、それだけで歴史に残る貴重な史料を葬り去ったとは考えにくい。そこにはユダヤ人を排除するソ連、そして今に続くロシアの思惑が見え隠れする。

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The Mystery of the Black Bookより