チャイコフスキーとワーグナーにつきまとう雑音

 ロシアのウクライナ侵攻を受けチャイコフスキーの演奏を取りやめる動きが相次いでいる。特に問題にされているのが大序曲『1812年(1812 Overture)』。ナポレオン率いるフランス軍を撃退したロシア軍の勇壮さをたたえる曲であるため、時期的に適切でないと判断されたようだ。同様の動きは欧米でもあり、イギリスのカーディフフィルハーモニー交響楽団は3月18日に予定されていたチャイコフスキーの演奏をドボルザークなどの曲目に変更する決定をしている。「現在のロシアによるウクライナ侵攻に鑑み、大序曲1812年を含むプログラムは適切でない」と説明されたが、文化にまで及ぶ過剰な反応への批判も少なくない。

 そもそも1812年は、ナポレオンの侵略から祖国を守る英雄的な抵抗を称えているのであり、210年後の現在のウクライナが経験している抵抗にこそ相応しい曲だという。チャイコフスキーを絶賛することとプーチンの侵略とはなんの関係もないはずだ。音楽愛好家の間では常識のようだが、チャイコフスキーの曽祖父ヒョードル・チャイカウクライナ東部ポルタバに住んでいたコサックで、チャイカは「カモメ」を意味する。チャイカをロシア風に上品に改名したのがチャイコフスキー。この大作曲家がウクライナを心から愛していたのも周知の事実だ。演奏を中止するより、むしろウクライナのために演奏してもいいのではないか。

 チャイコフスキーの演奏中止で引き合いに出されるのが、イスラエルワーグナーの演奏が事実上禁止されていることだ。ドイツの精神風土を賞揚するワーグナーの作品はナチズムと深く結びついた過去があるため、イスラエルではタブー視されている。しかし、こちらは少し事情が異なる。

 イスラエルフィルハーモニー交響楽団の終身音楽監督だったズービン・メータが1981年、アンコールでワーグナーの演奏をしようとしたことがある。選んだ曲はワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ(Tristan und Isolde)』のクライマックスで演じられる悲壮感漂う「リーベストード(Liebestod=愛の死)」だった。ニューヨーク・タイムズ(1981年10月17日付)によると、彼は演奏に先立ち客席に向かってこう語りかけたという。「私たちは今夜、リヒャルト・ワーグナーの曲を演奏しようと思います。できることならこの場に留まって欲しいのですが、留まることを強要するものではまったくありません」。しかし観客の一人が突然、ステージの指揮台に近づいて上着を脱ぎ、体に深く刻まれた傷を見せ「この体の上でワーグナーを演奏しろ」と叫んだため会場は騒然となった。ホロコーストの生存者であり第1次中東戦争イスラエルの独立のため戦った英雄の極端な行動で、ワーグナーの演奏は中止に追い込まれた。

 筆者は90年代にイスラエルに長期滞在したことがあり、多くのイスラエル人と親交を深める機会があった。テルアビブにあった音楽アカデミーを訪ねた時、学校の先生が「今では弦楽の逸材はアジアの人たちが占めるようになり、ユダヤ人とストリングを結びつける時代は終わりつつありますね」と語っていたのを思い出す。当時、ズービン・メータとワーグナーの問題が再燃していたこともあり、少し尋ねてみると、ワーグナーにあまり拒否感を持っていないようだった。それほど神経質になる問題ではないと思い、デザイナーをしていた女性との雑談で「もうワーグナーを演奏してもいいのじゃないですか?」と尋ねると、ものすごい剣幕で「レイプをした連中をどうやって許せというの!」と怒られてしまった。ワーグナーを演奏するかどうかはイスラエル人が決めることで、外野がとやかく言う話ではなかった。

「音楽におけるユダヤ性」

 最近はイスラエルでもラジオやテレビでワーグナーがたまに聞けるようになったらしいが、コンサートホールでの演奏はあり得ない。ワーグナーが問題にされ続けるのも、ホロコーストの傷がいまだに癒えていないためだ。ヒトラーワーグナーのオペラ『リエンツィ(Rienzi)』に触発され政治家を志したといわれ、ナチの集会やプロパガンダ映像でワーグナーの曲目を積極的に使った。ナチを視覚的に美化したレニ・リーフェンシュタールの記録映画『意志の勝利(Triumph of the will)』(1934年)でも『ニュルンベルグマイスタージンガー(Die Meistersinger)』が高揚感を高めている。ヒトラーが崇拝したワーグナーユダヤ人たちのトラウマに直結する悪夢のような存在だ。

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1869年に実名で刊行された「音楽におけるユダヤ性」

 リヒャルト・ワーグナーはナポレオンがロシアで大敗を喫した1813年に生れ、帝政ドイツ時代の1883年に死亡している。ドイツで反ユダヤ主義が台頭するのは1870年代末からなので、ワーグナーが生きた時代、ドイツはユダヤ人にとり平和な場所だった。音楽家として実績を積んでいた当時のワーグナーは、ドイツ音楽界で成功を収めていたユダヤ系の作曲家、フェリックス・メンデルスゾーンやジャコモ・マイアベーアに反感を募らせていたと言われ、ユダヤ人の芸術性を否定する問題の論文「音楽におけるユダヤ性」(1850年)を偽名で音楽誌に載せた(1869年に実名で刊行)。ユダヤ人に対する偏見に満ちた表現が随所に見られ、反ユダヤ主義の先駆けになったと批判される一方で、論文のタイトルが示す通り、音楽におけるユダヤ性に対する反発あるいは嫌悪の表出にすぎないとも解釈され、評価が割れている。門外漢ではあるけど無理をして論文を読んでみると(https://hugoribeiro.com.br/area-restrita/Wagner-Judaism_music.pdf)、難解な表現が多く、音楽や時代背景の知識なしに到底理解できそうにない。概ねこんなことを言っているようだ。

「(我らヨーロッパの)社会の進化において、ユダヤ人たちに残された唯一の仕事、すなわち労働の対価でもない高利貸しによる金が、実質的な高潔さの特権へと変質しようとしている」
ユダヤ人が話すヨーロッパの言語は学びとっただけのものであり、彼ら生来の言葉ではない」ばかりか、「(ロシア帝国内で移住が禁止される「ペール」の外にいる)ユダヤ人は世代を継ぎ、この国(ドイツ)の言葉を異邦人として話している」
「歌とは感情を極限にまで高めるものであり、音楽は感情を語りかけるものだ」
「外国の言葉をもとに詩を生み出すことは、最高峰の天才をもってしても今のところ不可能である。我らヨーロッパの芸術と文明が、その発達にまったく寄与していない外国の言葉を使うユダヤ人に委ねられている」

 ドイツ固有の文化と芸術における異邦人であるユダヤ人の影響に警鐘を鳴らし、ユダヤ人自らがユダヤ性を否定してドイツ文化に完全に同化することを促す形をとっており、批判の矛先はメンデルスゾーンマイアベーアに向けられている。メンデルスゾーン家はヨーロッパでも有数の規模を誇る銀行を運営する実業家の家系であり、マイアベーアも同様だった。音楽界にはびこる金儲け主義に我慢がならなかったのかもしれないが、ユダヤ性の問題に対する批判は、ユダヤ人に対する敵意に裏付けられているとしか思えないほど辛辣だ。

 数々の不朽の名作を残したワーグナー西洋音楽史に残る巨人であり、メンデルスゾーンより高い評価を得ている。しかし作品と人物を切り離すことはできず、特にイスラエルの人たちがワーグナーを受け入れるのは容易いことではない。ただ、ナチが作り上げたワーグナー像とユダヤ性を批判したワーグナーの音楽は本質的に異なり、否定的な側面を乗り越え、あえて演奏すべきだと考えるユダヤ人音楽家も少なくないと言う。これからどれほど時間がかかるか分からないが、いずれイスラエルフィルがワーグナーを演奏する日が訪れるのかもしれない。