アゾフ連隊「非ナチ化」めぐるジレンマ

 8年前の2014年5月2日、黒海に面したウクライナ南部の港湾都市オデーサで、この日のサッカー競技に合わせ街を練り歩いていた群衆と、市内中心部に集まっていたロシア系住民との間で小競り合いがあり、拳銃の発砲や投石などの大乱闘になった。数千人の群衆に取り囲まれたロシア系住民のうち約300人が旧共産党本部ビルにたてこもり、原因不明の出火により42人の死者を出す惨事となった。これに先立つ2月、首都キーウでは、親ヨーロッパ派市民の大規模な抗議運動でロシア寄りのヤヌコビッチ政権が倒れる「マイダン革命」が起きていた。翌3月、ウクライナのEU接近を警戒するロシアが南部のクリミア半島を占領し、4月には東部ドンバス地方で親ロ派武装勢力が「ドネツク民共和国」と「ルガンスク人民共和国」の独立を一方的に宣言する事態へと発展した。

 オデーサの暴動はこうした不穏な情勢の最中に起きた。同市のロシア系住民は人口の約3割。彼らがテントをはって続けていた反マイダン革命の集会に、サッカーの熱狂的ファンや右翼団体「右派セクター(Pravy Sektor)」活動家を含む群衆がはち合わせ暴動になったのだが、双方の一部が武装していたとの目撃証言もあり、意図的な衝突だった可能性もある。事件はロシアで「ウクライナナチスが(ロシア系同胞住民を)生きたまま焼き殺した」とセンセーショナルに報じらた。そしてウクライナ侵攻の直前、ウラジミール・プーチン大統領も事件について触れ、「悪魔の仕業である犯罪を犯した者はまだ処罰されていない。誰も捜そうとしないが、我々は(犯人たちの)名前を知っている」とオデーサ侵攻を示唆したともとれる発言をした。

 2月24日の侵攻以来、ウクライナ軍の抵抗を見誤ったロシア軍は死者1万人、負傷者3万人を出したうえ戦力の20%を喪失したとされる。首都占領を諦め撤退した北部地域で次々と戦争犯罪の実態が明らかになるなか、ロシア軍が新たに戦力を集中させた東部戦線に取り残された住民たちの安否が懸念される。ウクライナ北東にある都市ハリコフは無差別砲撃でゴーストタウンと化し、ロシア軍に完全に包囲されたアゾフ海港湾都市マリウポリでも、都市インフラの90%が破壊され、すでに2万人近い市民が犠牲になっているとの情報もある。ロシアは第2次大戦戦勝記念日「勝利の日」記念式典の5月9日までにマリウポリを制圧し、東部ドンバス地方と南部クリミア半島をつなぐ「回廊」を確保するのが当面の目標になったようだ。

 その後も戦争が続くなら、次に主要なターゲットとなるのがクリミア半島北西のムィコラーイウであるらしい。3月初めに同半島に近いドニエプル川河口の都市へルソンを占領したロシア軍が、さらにムィコラーイウへ進軍している理由は、その先にあるオデーサを最終的に占領するためだ。オデーサの西でモルドバと国境を接するドニエストル川沿いにはロシア影響下の分離主義者が実効支配する「トランスニストリア」がある。黒海沿岸の中心都市オデーサはウクライナの貿易拠点であり、同国の海軍本部も置かれる。ドンバスからクリミア半島、そしてオデーサまでの黒海沿岸をすべて占領されれば、ウクライナは国として機能を果たせなくなる。

マイダン革命後に頭角を現すアゾフ

 一連の危機の出発点は2013年11月21日にキーウの独立広場(マイダン)で起きた市民のデモだった。当時のヤヌコヴィッチ政権が、EUが域外国と包括的な協力関係を結ぶための連合協定の署名を見送ると、大統領退陣を求める大規模な抗議運動に発展。翌年2月に発生したデモ隊と武装警察の激しい衝突を経てヤヌコヴィッチ政権を倒すマイダン革命につながった。デモで主要な役割を果たしたのは極右政党「スヴォボーダ(Svoboda=自由)」や設立されたばかりの右派セクターだった。武装解除を拒否した右派セクターが議会に向け行進を始めたのが政権打倒の決定打になった。暫定政権ではスヴォボーダ議員が国会議長に選出されている。革命直後、右派セクター代表のドゥミトゥロ・ヤロシュ(Dmytro Yarosh)は親ロシアの抗議活動を封じ込め「国を浄化する」と米誌「ニューズウィーク」に語っていた。一連の実力行使のクライマックスとなるのが、5月に起きたオデーサの暴動だったのだ。

 マイダン革命は、もう一つの重要な右翼団体を誕生させている。ドンバス地方の紛争で最大の激戦地になったマリウポリで名をあげた準軍事組織「アゾフ大隊」だ。創設者のアンドゥリイ・ビレツキー(Andriy Biletsky)はマイダン革命後に恩赦で釈放された一人で、前政権のウクライナ警察はビレツキー率いる右翼団体ウクライナ愛国者」をネオナチのテログループとして監視していた。もともとのメンバーは北東部の都市ハルキウにあるサッカーチームの熱狂的なウルトラスや民族主義運動の活動家たちだったと言われ、アゾフ海マリウポリ義勇兵として出撃する頃からアゾフ大隊と名乗りだした。戦場ではウクライナ正規軍が撤退するなか最後まで戦い抜き、マリウポリ奪還をもたらすなど戦果を挙げ、2014年11月に国軍の国家警備隊に組み込まれる。正式に軍の組織になってからは「アゾフ連隊」と呼ばれている。本部をマリウポリにおき、キーウの独立広場に近いビルで隊員募集のリクルートセンター「コサックハウス」を運用している。

 アゾフ連隊を特集した米誌「タイム」(2021年1月7日号)のインタビューに応じたビレツキーは、アゾフ大隊の創設が「長い地下活動の末に我々を呼び起こした」出来事だったと振り返る。ビレツキーは政党「国家の軍(National Corps)」を発足するためアゾフ連隊を離れた格好だが、組織は地方都市で警察と協力する自警団を組織したり、出版社を通じたプロパガンダに力を入れるなど連携がとられる。政界における影響力はほとんどないものの、他の右翼団体の勢いが衰える一方で、「アゾフ運動」とも呼ばれる彼らの活動は危機の中にあってますます影響力を増そうとしている。

 このアゾフ連隊がネオナチと関連づけて語られることが多い理由は、過去のビレツキーの発言に起因する。ビレツキーは2010年に出した声明書でナチス・ドイツのプロパンガンダを引用し、「(ウクライナ民族主義者は)生存をかけた最後の十字軍において、ユダヤ人率いるウンターメンシに対抗し、世界の白人国家を導かねばならない」などと訴えていた。ナチスが多様したドイツ語のウンターメンシという言葉は非アーリア人の「劣った人々」を意味し、ユダヤ人、ロマ人(いわゆるジプシー)、そして皮肉にもスラブ人をも含んでいたが、白人至上主義者のビレツキーがナチスを公然と信奉していたのは紛れもない事実だ。ビレツキーはアゾフの紋章にナチス親衛隊(シュッツシュタッフェル=SS)の精鋭「第2SS装甲師団ダス・ライヒ」のヴォルフス・アンゲル(Wolfsangel)を採用した。ヴォルフス・アンゲルはドイツ伝来の狼狩りの罠を意匠化したものだが、ナチスのSSを意識したのは明らかだ。もう一つ彼らが多様する意匠がネオナチのシンボルのように使われる「ソネンラード(Sonnerad)」。稲妻のような形のジークルーネあるいはカギ十字を放射状に構成して黒い太陽を描いたもので、ナチス親衛隊長官のハインリヒ・ヒムラーがSS高官用に考案したものだという。

 アゾフ連隊の訓練要員アレックスなる軍曹は米紙「USAトゥデイ」(2015年3月10日付)に、隊員の中でナチ信奉者は半数を上回らないと答えていたが、同連隊のスポークスマンはその数を1割か2割と修正している。ヴォルフス・アンゲルやソネンラードはウクライナナチスのイメージとして広く認識されているわけではなく、ロシア軍と果敢に戦う同連隊の評判を知り志願した若者たちのほうが多いらしい。だがビレツキーの過激な信条がアゾフ運動に受け継がれている疑いは拭いきれない。

テロの主役は白人至上主義者に

 アゾフ連隊も米陸軍の訓練を受けてきた部隊の一つだ。前述したネオナチの背景が問題になり、米下院が2015年7月に援助を中断する修正案を可決したことがあるが、同年12月に援助再開を認める修正案が可決され、引き続き米軍の支援を受けてきた。2018年にもアゾフ連隊への援助禁止を含む国防支出法案が成立しているが、実際に軍事支援が止まることはなかった。さらに米議会では2019年暮れ、米国市民をリクルート・訓練してきたアゾフをテロ組織として指定するよう議員40人が国務省に求めたこともある。しかし、これも実現には至っていない。日本の公安調査庁も「ネオナチ組織がアゾフ大隊を結成した」と記載した過去のHP上の情報が誤って拡散しているとして、4月8日付で同記述を削除したと発表した。

 プーチンは2014年のマイダン革命はファシストによるクーデターであり、「ナツィキ(リトル・ナチ)」に支配されたウクライナの「非ナチ化」が必要だとする国内向けの主張を繰り返してきた。ウクライナは民主国家であり、大統領はユダヤ系のゼレンスキーだ。非ナチ化というフレーズは第2次大戦のトラウマを悪用して侵攻を正当化するプロパガンダにすぎない。ロシアはマリウポリで徹底抗戦を続けるアゾフ連隊の殲滅を非ナチ化の最大の成果として利用するものとみられ、化学兵器の使用まで憂慮されている。民間人殺害を繰り返すロシアのジェノサイドを防ぐのがなにより優先される今、アゾフ連隊にネオナチの影があるとしても、彼らの過去の言動が問題視される状況ではないだろう。

 しかし戦後まで見据えるなら、見過ごしてはならないことがある。テロリストグループの調査で知られる元FBI捜査官のアリ・ソーファン(「ソーファン・センター(The Soufan Center)」代表)によると、アメリカの白人至上主義で主導的役割を果たすグレッグ・ジョンソンが2018年にウクライナを訪れ、「国家の軍」が主催した様々なイベントに参加していた。またアゾフ連隊はフェースブックなどSNSを駆使して世界の右派団体と接触しており、南カリフォルニアを拠点にする武装組織「RAM(Rise Above Movement)」との関係も取りざたされている。RAMはFBIが白人至上主義の過激派グループに指定した組織だ。

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アゾフ連隊を表紙にしたソーファン・センターの報告書「White Supremacy Extremism」


 ソーファン・センターが出した2019年の報告書「White Supremacy Extremism」は、2019年までの6年間にウクライナを訪れた外国人は50カ国から1万7000人になると指摘する。その多くに白人至上主義との関連があるのか確認されたわけではないが、彼らと信条を共有するアゾフ連隊で軍事訓練を受けた義勇兵らによる国際的なネットワークが構築される恐れがあると警告する。ここ数年、アメリカの白人至上主義者たちが連携を強めているのが、イギリス、ドイツ、スウェーデン、フランス、そしてポーランドなど中東欧諸国だという。アメリカが軍事支援したアフガンゲリラにアラブ各国から義勇兵が殺到し、混迷を深めたアフガニスタンを聖域とした揚げ句、アルカイーダを結成して米同時多発テロを起こしたように、ウクライナで戦闘経験を積んだ義勇兵が自国に戻り白人至上主義のテロを起こすことも十分に考えられる。今やテロの主役はイスラムのジハーディストたちでなく白人至上主義の過激派に移りつつある。