誰も救えない流浪の脱北民たち

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凍結した中朝国境の豆満江。対岸が北朝鮮。2007年撮影

脱北民にすらなれず
(※「脱北者」を韓国での呼称「脱北民」と表記)

 韓国法務部(省)傘下のソウル出入国・外国人庁で11月4日、北朝鮮を脱出した元住民4人が申請した難民審査の結果が発表された。4人は北朝鮮に移住した中国人の親と共に同国で50年近く暮らし、公民証の登録もされている華僑。北朝鮮国籍はなく、中国政府も彼らを自国民と認めていない。中国の公民証を得るには3年以上の居住や所得証明など一定の条件を満たさねばならず、難民状態で中国に逃れていた彼らには資格がない。結局彼らは脱北民同様、韓国を目指すことになった。だが、韓国政府は彼らを脱北民とみなさず、中国にも受け入れを拒否され「無国籍者」として一時滞在のビザを発給した。どこにも定住先のない彼らが最後に望みを託したのが難民申請だった。

 法務部はこの日、「脱北華僑たちは北朝鮮で迫害されていた経験がない」ことを理由に申請を却下した。4人を支援してきた「脱北難民人権連合」の金龍華会長は記者団に、「アフガニスタン難民を受け入れておきながら、北朝鮮を逃れてきた人はだめなのか」と怒りをぶつけた。

 北朝鮮在住の華僑は終戦直後に4万人ほどいたとされるが、今は5000人に満たないという。中朝国境を比較的自由に往来できることから、外貨稼ぎの貿易商を営む人が多く、どちらかと言えば恵まれているが、国連の経済制裁が長引く中で彼らの生活にも影響がでだし、脱北する人が増えているようだ。そして、どの国にも受け入れてもらえず当て所もなく彷徨い続けている。

 韓国籍を得た脱北民の中にも、国の支援を得れない不安定な人たちがいる。脱北民は女性が圧倒的に多く、中国で知り合った中国人男性との間で生まれた子を韓国に連れてくることもある。こうした子どもたちは「第3国出生脱北民の子」に分類され、支援の対象外になる。その数は2018年の調査で1530人。韓国語がうまくできないため同級生からいじめられ登校拒否になるケースが多い。脱北民なら大学も特別枠で進学できるが、彼らの場合、韓国人生徒と同じ厳しい受験競争を経ねばならず、大学進学はほとんど不可能だ。しかも彼らには脱北民に免除される徴兵義務まで課され、数年後から順次、軍隊に送り込まれることになる。

 

www.youtube.com映画『影の花』予告編

 北朝鮮の家族に会いたい

 北朝鮮に帰して欲しいと訴え続ける脱北女性もいる。平壌に住む主婦だったキム・リョンヒ(52歳)は、2011年に病気治療のため中国に行った時、「韓国に行けば大金を手にすることができる」と脱北ブローカーに誘われ、ラオス、タイを経て韓国に入国した。家族を残してきた罪悪感から、国家情報院(国情院)の取り調べの際に北朝鮮への帰国意思を伝えるが、聞き入れてもらえなかった。そして転向を誓う「保護同意書」を書き韓国国民になった。旅券さえあれば中国から北朝鮮に帰れると考えたのだが、国情院は彼女の旅券発給を差し止めてしまう。

 家族との再会を願う彼女の悲痛な訴えはドキュメンタリー映画『影の花』(イ・スンジュン監督、10月27日封切り )で紹介され、韓国で話題になっている。映画では彼女が平壌の家族と電話で話す場面も登場する。脱北民に限らず韓国人が北朝鮮住民と接触すれば「会合・通信罪」に問われるが、家族の生死確認などの事情がある場合は事後申告で済むのだという。この映画で特に話題になっているのは、平壌の家族も取材されていることだ。撮影したのは当局の許可を得たフィンランド人の映画監督で、家族を引き裂く南北分断の現実が生々しく描かれた。

 韓国に到着した脱北民たちは、国情院傘下の「自由ヌリセンター」(10月に「北韓離脱住民保護センター」から改称)で取り調べを受けた後、統一省傘下の「ハナ院」で韓国社会に適応するための教育を受ける。脱北民の生活支援機関として「南北ハナ財団」もあるが、筆者が会った多くの脱北民の話では、韓国社会での生活や就職にほとんど役に立っていないという。韓国当局が脱北民の北朝鮮帰国を認めない理由は、こうした国家機関の情報が北朝鮮側に漏れるためだというが、すでに韓国から北朝鮮に「再入北」した脱北民は多く、情報は筒抜けだ。統一省によると2010年から2020年までの10年間に再入北した脱北民は、確認されただけで29人(うち5人は再び韓国に脱出)になる。

 再入北の先駆けとなった事件は2012年のパク・ジョンスク(当時67歳)の脱出だった。韓国に定着した脱北民だった彼女が突然、平壌の記者会見場に現れ、「韓国での生活は奴隷のようだった」と訴えた。その後も脱北民たちの再入北が続き、北朝鮮プロパガンダに沿った会見がされた。北朝鮮に残された家族への脅迫や不利益が再入北の動機になっているのは間違いないが、理由はそれだけではなさそうだ。脱北民たちが命懸けで脱出したはずの北朝鮮に戻っていく姿は、韓国での社会適応がいかに困難であるか見せつけている。

脱北女性たちの窮状

 もともと韓国では北朝鮮からの亡命者を「帰順者」と呼び、体制の優位性を宣伝する手段として利用された。1993年までの帰順者の総数は641人。年間一桁を超えることはなかったが、1995年から飢饉に伴う餓死者が急増し、住民が国境を越え中国の韓国大使館や領事館に押し寄せる事件が頻発した。「脱北者」という言葉はこの頃に生まれた。韓国に入国した人の総数は2006年に1万人、2011年に2万人を突破し、今年10月現在で3万3788人に及ぶ。身近な存在になった彼らは韓国で脱北民と呼ばれるようになった。

 脱北民なら誰でも韓国を自らの意思で選択した祖国という意識を持つ。だが韓国人の多くは彼らを最貧国から来た移住民くらいにしか考えず、同胞という意識は希薄だ。脱北民と知られると職場で嫌がられるので、中国朝鮮族を装う人も少なくない。北朝鮮で検事を務めたエリート脱北民が宅配のアルバイトをしていることで話題にもなった。また脱北民の72%を占める女性の多くが、中国で人身売買や性的搾取の被害を受け、韓国に来てからも過去のトラウマから立ち直れないでいる。社会適応の前にメンタルヘルスの治療が必要なのに、不慣れな社会に放り出され、歓楽街に身を落とす女性も多いと聞く。

 10年前に彼女たちの実情を調べていた時に知り合った「エステル」と名乗る30代の脱北女性は、こう語っていた。

「ハナ院の教育課程を終えた女性たちの社会進出を支援する仕事をしたことがあります。半数以上が精神科の治療を受けていて、自力で生活していける状況ではありませんでした。脱北とはしばらく中国で生活するということですよね。17歳の娘が、ある日突然、自分の父親のような年齢の中国人に売られて妾にされ、性的暴行を受け続ける。自分が産んだ赤ちゃんを育てていけないから、うつ伏せにして息が絶えるのを見守ったことがあると、うつろな表情で語る女性もいました。忌まわしい過去から逃れられないから精神的におかしくなる。そんな彼女たちに社会適応といっても酷な話です」

 脱北問題とは、深い心の傷を負った女性の問題だと彼女は強調した。

コロナ禍で消えた脱出ルート

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2007年に撮影した鴨緑江下流の中国側に作られた国境フェンス。今はさらに厳重な警備態勢がとられる

 食糧難が主な理由だった初期の脱北に対し、2000年代後半からは政治や社会に不満をもつ人たちの脱北が顕著になった。中でも子どもの将来を考え韓国を目指すケースが多いらしい。しかし塾や課外活動に高額の教育費が必要な韓国で、脱北民の子どもたちは例外なく落ちこぼれ、学校では仲間はずれにされる。筆者が会ったひきこもりがちの脱北民の女子高生も、友だちに脱北民であることを絶対に知られないようにしていると話した。

 一方、希望のない韓国での生活を見限り、外国に行って偽装の難民申請をする、いわゆる「脱南」事例も相次いだ。統一省の資料(2019年7月)によると、国外に出国したまま帰国していない脱北民の数は749人になり、そのうち69人が欧米で新たに難民申請をしていた。最近は各国の難民審査が厳しくなり減少傾向にあるが、脱南の主な動機も子どもの教育だったという。

 しかし新型コロナウイルス感染症が広まりだした昨年1月に北朝鮮が国境を封鎖してから、住民の脱出は極めて難しくなっている。昨年韓国に入国した脱北民は229人、今年は48人(9月まで)に激減した。中朝国境の監視体制も一段と強化され、ワクチン接種証明書がなければ移動も容易でないため、脱北ブローカーの多くが活動を中断した状態だ。韓国の放送局『MBN』(10月26日放映)が入手した北朝鮮の警察「社会安全部」の資料には、「伝染病を防ぐため国境から2キロを緩衝地帯に設定し、鴨緑江豆満江に侵入した者は予告なしに射撃する」と記されてあった。

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北朝鮮の国境警備兵。豆満江上流の崇善で1996年撮影

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北朝鮮離脱住民を収容する中国の「延辺辺防支隊拘留審査所」。2007年撮影