カザフ人女性アナール・サビットが新疆を脱出するまで

 新疆ウイグル自治区で起きているウイグル人ほかテュルク系少数民族を標的にした人権蹂躙は、数々の証言や研究者の報告から、疑いを挟み込む余地はない。新疆の人口は中国の人口の1・5パーセントにすぎないが、2017年の新疆での逮捕者数は中国全体の21パーセント近くを占めていた。この数年間でおよそ100万人もの人々が、300から400ある施設に拘禁されたと考えられている。固有の文化や言語を奪い、民族のルーツを根絶やしにするための、組織的で徹底した弾圧が今も続いている。
 以下に紹介するのは米誌『ザ・ニューヨーカー』(2021年4月12日付)に掲載された「Surviving the Crackdown in Xinjiang」という長文の記事を要約したもの。日本語の用語などを使って分かりやすく訳しておいた。記事は、新疆を脱出したカザフ人女性で現在カナダ在住のアナール・サビットの証言に基づき構成され、同誌ウエブサイトで公開されている(オーディオ版の聴取も可能)。証言には強制不妊手術などショッキングな内容こそないが、何の越度もない普通の人が犯罪者に仕立て上げられ、「囚人」として収容される理不尽さが伝わってくる。新疆で広範囲に実施される住民の監視は、すでに広く知られている。その実態に改めて触れ、背筋が寒くなる思いをした。ジェノサイドとは、特定の民族共同体の破壊を必ずしも意味しないが、彼らが拠り所とする生活を意図的かつ強圧的に破壊する行為は、広い意味でジェノサイドと言って差し支えないのではなかろうか。
 記事を読みながら頭から離れなかったのは、数年前に古本屋で買ったジョージ・オーウェルの小説『1984年』で描かれた監視社会だった。小説ではテレスクリーンという監視システムで住民は当局の完全な監視下に置かれるが、AIを導入した中国の「一体化統合作戦プラットフォーム」は、これを上回りかねない。中国で続く人道に対する罪に目を瞑るなら、いつのまにか自分たちの社会も、高度にシステム化された監視網が住民を統制する専制政治を許しているかもしれない。

Surviving the Crackdown in Xinjiang(要約)
『THE NEW YORKER』(2021年4月12日付)
By Raffi Khatchadourian

 新疆ウイグル自治区北部の奎屯(クイトゥン)で育ったカザフ人女性、アナール・サビットは、小さいころから中国語を身につけ、中国共産党の教えを素直に受け入れてきた。同自治区の現在の人口は約2500万人。そのうちウイグル人が45%、移住してきた漢人も42%になるのに比べ、彼女と同じカザフ人は5%の約140万人にしかならない。それでも彼女は中国人民であることを疑うことなく育った。高校卒業後の2004年、上海の学校でロシア語を学び、投資会社に就職することもできた。両親は隣国カザフスタンに移住したが、彼女は自分の将来を考え中国にとどまり、カナダのバンクーバーで働く機会にも恵まれる。
 なにもかもうまくいっていた2017年の春、カザフスタンから父の訃報が届き、故郷の奎屯に向かった。遺品を整理する母の手伝いをするためだった。7月半ば、母親と一緒にカザフスタンに行くため、ウルムチのディウォプ国際空港に向かったのだが、空港で彼女だけ足止めされてしまう。出入国管理の対象者になっているため、出国できないというのだ。

 新疆をとりまく環境は、2009年に区都のウルムチで大規模なデモが起きて以来、悪化の一途をたどっていた。当局は女性のベール使用やウイグル語のウェブサイトを禁止し、モスクなど歴史建造物を破壊する暴挙に出た。ウイグル人天安門広場に自動車で突入して多数の死傷者が出た2013年の事件は、自治区でのモスク破壊の報復だったという。事件の数カ月後、雲南省で刃物を振り回して死傷者を出した事件も同様の背景があったとされる。中国は一連の事件を「中国の9・11テロ」と呼び、習近平は「道を横切ろうとするネズミがうろたえるよう、みんなでテロリストを『打ちのめせ!』と叫ぼう」と訴えた。
 チベット自治区党書記として辣腕を振るった陳全国が、新疆ウイグル自治区党書記に抜擢された2016年以降、住民の弾圧と監視はエスカレートする。チベットで導入された「便民警務所」(交番)がいたるところに設置され、住民を「信用できる」「普通」「信用できない」の三つに分類し、手あたり次第に拘束しだしたのだ。2017年6月の1週間だけで南疆(自治区南部のウイグル人集住地域)の4つの県で1万6000人が拘束されたという情報もある。アナール・サビットが空港で足止めされたのは、まさにそんな時期だった。

 空港で拘束されたアナール・サビットは奎屯の警察署に連行され、取り調べを受ける。「これは何かの間違いに決まっている」と信じようとしたが、「アリが餌食に群がるように、不安が自分の体を食いちぎっていくようだった」と彼女は当時の心境を振り返る。取調室には金属の錠で手足を固定する「タイガーチェア」と呼ばれる鉄製の椅子が置かれてあった。疲れ果てた様子のウイグル人男性が椅子につながれている姿を目撃し、思わずぞっとした。数日後には、椅子につながれたまま「毛沢東万歳!中国共産党万歳!」と叫んでいる年配の男も見た。
 取り調べでは何度も同じ質問をされた。答え方に少しでも食い違いがあれば、執拗に問いただしてくる。
「あなたは多くの問題ある国を訪ねている」
 それは業務上の訪問だと説明しても、取調官は聞く耳をもたない。

 中国は2005年から監視カメラによる住民監視システム「天網」(スカイネット)を全国に展開してきたが、習近平政権になり、システムをより強化した「鋭眼」(シャープアイズ)に人工知能(AI)を搭載した顔認証技術を連動させ、新疆ウイグル自治区を巨大な実験場として利用した。ウルムチの住宅には住民の情報を読みとれるQRコードがはりつけられ、すべての自動車にGPSによる位置追跡を可能にさせた。携帯電話の個人情報ばかりか、自宅に設置されたワイファイからもパソコンで利用した情報が確認されてしまう。さらに、無料の健康診断「全民検診」を通して、血液型、指紋、声紋、虹彩、DNAなどの身体情報がすべてデータ化された。こうした住民の厖大なデータベースを統合した監視ネットワーク「一体化連合作戦平台」(一体化統合作戦プラットフォーム)により、アリのはいでる隙もない監視体制が作りあげられた。
 住民は36のタイプに分類される。携帯電話の使用が極端に少ない、裏口からの出入りが多い、電気の使用量が多い、顎鬚が長すぎる、人との交流が少なすぎるといった行動が確認されると不審人物とみなされる。なにより海外の渡航歴がある住民は、有罪を前提とした監視の対象となる。アナール・サビットが出入国管理対象者になっていたのは、単にこのためだ。

 逮捕の翌日、アナール・サビットは病院に連れていかれる。血液検査、尿検査、心電図、レントゲン撮影、指紋、DNA採取、虹彩スキャン、そしてマイクで声紋もとられ、一体化統合作戦プラットフォームにアップデートされた。
 逮捕から19日後、ようやく容疑が晴れて釈放。3カ月過ぎれば出入国管理対象からも外れ、旅券が返還されるという。釈放3カ月後、実際に旅券は返還された。母のいるカザフスタンに行くため、はやる気持ちで空港で出国手続きをすると、係官が目の色を変え制止した。まだ出入国管理の対象から外れていないというのだ。再び警察署に連行された彼女は、結局、「学校」に行くよう命じられた。学校とは再教育施設のことを指す。

 アナール・サビットが連れていかれた施設は、高い壁に取り囲まれ、その壁の上にはコイル状の鉄条網が敷かれていた。施設の入口に「奎屯職業技能教育培訓中心」(奎屯職業技能教育訓練センター)と書かれていたのを彼女は覚えている。入所するとすぐ全身検査が行われ、蛍光色のストライプ模様が入った制服に着替えさせられた上、写真入りのIDタグがつけられた。この施設では中国語以外の会話が禁止されていた。中国語を理解できない人たちは、誰とも喋れず沈黙するしかない。
 就寝時間は午後10時。だが照明は一晩中消されなかった。就寝中に喋れば、スピーカーから耳をつんざくような音で警告が発せられる。泣くことさえ注意されるので、監視カメラの反対側を向いて涙ぐむしかなかった。トイレなど部屋を出入りする際は看守に「報告!」と告げて許可を得る。看守の扱いは手荒だが、逆らえばタイガーチェア送りだ。彼女たちは囚人以外の何者でもなかった。
「処刑延期の幻想(delusion of reprieve)」という言葉がある。アウシュビッツに送られたユダヤ人たちが、「そんなにひどいことにはならない」「いつかは救われる」と最後まで信じようとしたように、絶望的な状況におかれた人たちが抱く根拠のない幻想だ。だが、アナール・サビットの幻想は日を追うごとに薄れていった。「私は悪いことをしたのではないだろうか?」「中国を裏切ったのかもしれない?」と自問自答するようになった。

 施設では、ある噂が広まっていた。当局が収容者数の割り当てを満たすため、手あたり次第に住民を捕まえているというのだ。道で喧嘩をしていた人、酔っぱらい、仕事を怠けていた人が「過激派」として捕まっていたからだ。施設には次から次と収容者が送り込まれ、その多くは満杯になった拘置施設から移送されてきた人たちだった。彼女たちにとり、再教育施設は恵まれているという。彼女たちはその拘置施設に目隠しで手錠をかけられたまま連行され、食事はろくにとれず、部屋は小便や血で汚れていた。アナール・サビットと同じ部屋の女性も拘置施設から移送されてきたのだが、長い間、錠をされていたため、手首と足首にくっきり痣が残っていた。
 再教育施設では女性も軍人のように規律を守らねばならない。ある日、女性たちは髪の毛を切るよう命じられた。カザフ人やウイグル人の文化では女性の長い髪は幸運を意味し、子どものころから一度も切ったことがない人さえいる。彼女も髪の毛を切られる時、身を切るような辛い思いをした。ところが、女性たちの髪が商品として流通しているという疑惑が持ちあがっている。米国は昨年、収容施設で集められた女性の髪の毛が輸出されているとして、中国産の13トンの輸入を禁止している。また、女性の多くが収容後まもなく若白髪が目立つようになり、月経が止まった人もいる。ストレスや粗末な食事、あるいは強制的に打たれる注射が原因だったのか、はっきりしていない。

 自分の意思では何も変えることができない施設での生活。それは2018年の9月、なんの前触れもなく終わりを告げた。初めて空港で拘束されてから1年以上が経過していた。アナール・サビットは叔父の家に預けられ、保護観察処分となる。だが、その後も監視の眼から逃れることはできず、なるべく目立たないよう健気に生活を続けた。そんな従順な姿勢が認められたのか、当局の紹介で貿易会社に就職する機会も与えられる。
 そして旅券が返還される時、再教育施設での経験を口外しないという念書に署名を迫られ、戸惑うことなく署名した。彼女はしばらくして、カザフスタン行きの鉄道のチケットを購入した。もし出国審査の係官のモニターにアラームが表示されたら、再教育施設に逆戻りだ。彼女は祈る気持ちで係官を見つめていた。アラームは表示されなかった。その代わり、当局の担当官から携帯に電話がかかった。「カザフスタンで分離主義の考えをもつ人たちに出会ったら後で報告しなさい」。彼女は「はい」と答えた。
 国境を越え、カザフスタンに入国した時、彼女は言いしれぬ安堵感に包まれた。巨大な牢獄、新疆ウイグル自治区を脱出し、人間としての尊厳を取り戻した瞬間だった。