カブール空港と興南港、二つの「ミラクル」

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興南港で「メレディス・ビクトリー」に乗船できた避難民(ShareAmericaから)

 カブール国際空港で米軍が8月14日から30日まで実施した退避作戦は、同盟国の搬送を合わせ、12万3000人もの人を国外に送り出す大規模なものだった。26日の自爆テロで犠牲者が出たとはいえ、米軍の作戦遂行能力の高さに改めて驚かされる。退避作戦は場当たり的に実施されたのではなかった。米軍は有事に備え、米国の民間人を迅速かつ安全に海外に退避させる「非戦闘員退避作戦(Non-combatant Evacuation Operation)」の訓練を実施している。約2万8000人の米軍兵士が駐屯する在韓米軍にも、韓国に住む約20万人の米国人を在日米軍施設などに搬送する定期退避訓練がある。毎年2回行われ、春の訓練を「フォーカスド・パッセージ(Focused Passage)」、秋の訓練を「コレージャス・チャネル(Courageous Channel)」と呼ぶ。北朝鮮が5回目の核実験を行った2016年から、民間人を実際に退避させ話題を呼んだ。
 しかし、アフガニスタンの場合、退避させる民間人の大半が現地の難民だったので、混乱が生じ、空港は断末魔の様相を呈した。そして、遠く離れた韓国で、彼らの命懸けの脱出劇をじっと見守っていた人たちがいた。71年前の1950年12月に米軍が朝鮮戦争で実施した「興南撤収作戦」による生存者、そしてその家族たちだ。
 朝鮮戦争は1950年6月25日、朝鮮人民軍の奇襲攻撃で始まった。国連安保理はただちに北朝鮮の侵略を非難し、米軍を中心とする国連軍を結成。9月にソウルを奪還、10月には平壌占領を果たすのだが、同月、中国が「抗美援朝、保家衛国」(米国に対抗し朝鮮を支援し、中国を防衛する)のスローガンを掲げ、朝鮮への出兵を決断していた。北朝鮮中部山岳地帯の奥深く、長津湖まで進軍していた米第1海兵師団をはじめとする国連軍は、突如現れた12万人もの中国軍に取り囲まれ、氷点下30度の極寒の戦場で約1万7000人の死傷者を出す甚大な被害を被った。撤退を余儀なくされた米軍は、前線各地の約10万人の残存兵力を北朝鮮東部の興南港に集結させ、軍艦や輸送船で韓国に退避する決断を下す。これが同年12月15日からクリスマスイブの24日まで実施された米国史上最大の退避作戦、興南撤収作戦だ。
 退避を困難にさせたのは、興南港に押し寄せた約30万人の北朝鮮避難民の処遇だった。10万人を超す兵員に加え600万トンに及ぶ武器や装備もあり、避難民まで搬送するのは不可能に思えた。だが、米軍はカブール空港をはるかに上回る大混乱の中、避難民の搬送を始め、結果的に約9万1000人を韓国に脱出させる。その中で最大の規模となったのが、大量のガソリンや軍需品を放棄し、定員59人に1万4000人をすし詰めにして出港した貨物船「メレディス・ビクトリー(Meredith Victory)」だ。後に「奇跡の船(Ship of Miracles)」と呼ばれる同船で脱出できた避難民の中には、文在寅大統領の両親もいた。
 この時のミラクルが意識されたのか、韓国政府がアフガニスタンから現地スタッフとその家族390人を脱出させた作戦は「ミラクル」と名づけられた。手柄を横取りしようとする政府高官らのパフォーマンスで冷や水を浴びたが、韓国政府の努力は国内外で一応の評価を得ている。その一方で、ミラクルを心から喜べない人たちもいる。他ならぬ同胞の難民、脱北者たちだ。文在寅政権になり、韓国に入国できた脱北者の減少傾向が続き、昨年はコロナ禍もあり229人にまで激減している。政権がアピールしたくない人道援助にはミラクルは起きず、彼らは見捨てられたままだ。