中国が進む険路アフガニスタン

 昨年12月中旬、アフガニスタン政府の情報機関「NDS」がカブール市内に住む中国人10人をスパイ容疑で摘発する事件があった。そのうち2人は中国の情報機関、国家安全部と関係があり、タリバンの最強硬派「ハッカーニ・ネットワーク」と接触したとみられる。中国人グループはタリバーンを通して、同国内のクナール州とバダクシャン州にいるウイグル人武装グループ「東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)」の情報を探っていたと報じられたが、真相は今も明らかにされていない。

 事件から4カ月後の4月14日、バイデン大統領がアフガニスタンから米軍を全面撤退させると発表し、アフガニスタン情勢は急変する。その1週間後の21日、パキスタン南西部バルーチスタン州都のクエッタにある高級ホテルで爆発があり、警官ら16人の死傷者が出た。同市を訪問中の中国大使を標的にしたテロだった可能性が高く、パキスタンの反政府勢力「パキスタンタリバーン運動(TPP)」が犯行声明を出している。

 さらに7月14日、パキスタン北部コヒスタンの山道で、ダム建設現場に向かう中国人労働者らを乗せたバスが爆発し、中国人9人を含む12人が死亡した。現場検証で爆発物が発見され、中国人を狙ったテロとみなされた。続く8月20日アラビア海に面したバルーチスタン州の港町グワダルで、中国人が乗った自動車の近くで爆発があり、中国人1人が負傷。この事件はTPPとは別のパキスタンの反政府グループ「バルーチスタン解放軍(BLA)」の犯行だった。米軍の撤退に合わせるかのように、中国人を標的にしたテロが続いた理由はなんだったのか。

 中国の投資で建設中のコヒスタンのダムは、電力不足に悩むパキスタンに不可欠な事業であり、中国のダム建設大手「中国葛洲壩集団股份」が工事を請け負う。中国とヨーロッパを結ぶ巨大経済圏構想「一帯一路」の一環として、中国がパキスタンと進める「中国・パキスタン経済回廊(CPEC)」の主要プロジェクトに位置づけられている。同プロジェクトには、パキスタン西部の北西辺境州都ペシャワルとアフガニスタンの首都カブールを結ぶ道路建設計画もあり、親パキスタンタリバーン政権が事業に加わるのは時間の問題だ。また、中国はグワダルを陸のルート「一帯」と海のルート「一路」を結ぶ戦略拠点にする考えで、パキスタン政府とともに港の開発を進めてきた。いずれも一帯一路の要となる事業ではないが、友好国パキスタンと共にインドに対抗する意味で戦略的価値がある。反政府イスラム原理主義勢力は、パキスタンの国策事業に打撃を与えるため中国人をテロの標的にしているようだ。

 反政府勢力が根城にするパキスタンアフガニスタンの国境地帯は、国境を挟み同じ民族が分散して暮らしているため、国境はあってないような存在だ。バルーチ人グループのBLAはバルーチスタンの分離独立を目指すグループとして知られる。しかし、数ある反政府グループのなかでパキスタンがもっとも警戒するのは、パキスタン人のタリバン、TPPだ。同じパシュトゥーン人が主軸を成すアフガニスタンタリバンとは別の組織だが、対立関係にあるわけではない。冒頭のスパイ事件で中国人要員がタリバーンから得ようとした情報は、存在すら疑われるETIMのウイグル人テロリストの情報ではなく、TPPの内情だったのではなかろうか。

 TPPの結成は米同時多発テロから6年後の2007年暮れのことだ。米軍のアフガニスタン侵攻を機にアルカイーダ戦闘員の多くが国境を越え、パキスタン北西辺境州の中でも排他的な自治が認められる連邦直轄部族地域(FATA)、いわゆるトライバル・エリアに逃げ込んだのが、直接のきっかけとなる。パキスタン軍がアルカイーダ掃討作戦でトライバル・エリアに進撃したことに地域のパシュトゥーン人が反発し、パキスタン政府転覆を目指す反政府武装勢力に変貌していった。だが、背後のアフガニスタンからも米軍の越境攻撃が繰り返され、孤立無援の状況で戦死者を続出させた。パキスタン政府の支援を受けながら同地域を聖域にしたタリバンハッカーニたちとは、正反対の道をたどることになったのだ。

 TPPの戦闘員は最盛期に4000人規模まで拡大したが、パキスタン軍の執拗な攻撃で創設メンバーのほとんどが死に、多くは国境を越えアフガニスタン側に逃れたようだ。アフガニスタン政府軍の捕虜になった者も多い。組織は弱体化の一途をたどるのだが、昨年になり、新たな指導者の下で組織が再結成される動きがあった。テロの対象となる中国としては見過ごせない事態であり、水面下の諜報活動が始まったものと思われる。だが、カブール入城を果たしたタリバンは、パキスタンの意に反し刑務所に収監されていた780人のTPP元戦闘員を解放してしまった。彼らがアフガニスタンを聖域にすれば、中国としては手の打ちようがない。

 タリバンの敵はTPPではなく、26日にカブール空港で自爆テロを行ったISIS-Kだ。死者170人以上の参事となったテロで、タリバン戦闘員は米軍兵士13人を上回る28人の死者を出している。ISIS-Kも当初、トライバル・エリアを根城として、隣接するアフガニスタンのナンガルハル州に浸透して活動を始めたとされる。TPPやタリバンの不満分子を取り込んだ上で、イラク・シリアのISIS指導部に認められ、2015年に同組織をたちあげた。Kはイラン北東部、中央アジア南部、アフガニスタンにまたがる中世ペルシャ時代の地域の呼称「ホラサン」の略で、今は拡大解釈されパキスタンまで含む南中央アジア一帯を指す。彼らは非イスラムを認めず、アフガニスタン政府・米国との和平交渉を進めたタリバーンの柔軟姿勢にも強く反発した。米軍撤退が発表された翌月の5月8日にカブールの女子高校「サイード・アル・シュハダ」で起きた卑劣な爆弾テロも彼らの犯行だと考えられている。死者85人、負傷者147人の大半が、シーア派少数民族で東洋系の顔だちをしたハザラ人の女子生徒だった。

 米軍がもっとも危険視していた組織もISIS-Kだ。トランプ政権は昨年の和平交渉の中で、ISIS-Kに対処する共同戦線にタリバンの参加を求める一幕もあったという。いくら敵の敵とはいえ、タリバンが米軍と軍事作戦を行うなど考えられない。末端レベルではTPPとISIS-Kの線引きも困難だ。とはいえ目の上のコブとなったISIS-Kを放置しておくわけにもいかず、タリバンは今後、難しい舵取りを迫られることになる。もし中国が札束で問題を解決しようとすれば、より明確なテロの標的になる可能性もあり、表立った動きもとれない。アフガニスタンの混沌は今後も続く。