なぜ米軍はタリバンを制圧できないのか 

テロの「聖域」と化すパキスタン・アフガン国境(『中央公論』2007年10月号)

米軍の掃討作戦が成功せず、イラクと同様に事態が泥沼化しているパキスタン・アフガン国境。この地域では、今も自爆テロの志願者が列をなしている

裵淵弘(ベ・ヨンホン)/ジャーナリスト

 

神学校立てこもり事件と自爆攻撃

 二〇〇一年九月に発生した米同時多発テロの首謀者、オサマ・ビンラーデンを保護するタリバン政権の駆逐を目指した米軍のアフガニスタン侵攻は、当初の予想に反し、わずか二カ月であっけない幕切れを迎えた。各地に散ったタリバンやアル・カイーダ指導層を追跡するテロとの戦いは、その後も続いたが、米軍の圧倒的な軍事力を目の当たりにした国際社会は、アフガニスタン復興を楽観視した。ブッシュ政権は〇三年三月にイラクに侵攻してフセイン政権を打倒しただけでなく、残る“悪の枢軸”、イランと北朝鮮を封じ込めるつもりでいた。

 ところが、イラクでテロが続発するとブッシュ政権の快進撃は止み、泥沼のイラク情勢が米国社会に深い影を落とすようになった。そしてその影は、アフガニスタンとその隣国のパキスタンでも大きくなろうとしている。

 アフガニスタンには米軍を含む北大西洋条約機構NATO)加盟国を中心とした多国籍軍からなる、三万五〇〇〇人規模の国際治安支援部隊(ISAF)のほか、テロとの戦いを主任務とする約八〇〇〇人の米軍が駐留しているが、〇五年から死傷者が急増しだし、毎年増加の一途を辿っている。鳴りを潜めていたタリバンアフガニスタン各地で活動を始めたのだ。

 米国防省などの資料によると、〇五年の戦死者は一三〇人(うち米兵は九九人)、〇六年は一九一人(米兵九八人)、〇七年は八月二十五日現在で一四七人(米兵七一人)に達している。NATO軍のなかでもカンダハルを管轄するカナダ軍の被害が際立ち、これまでの戦死者六九人のうち、三分の一以上が今年に入ってからの犠牲者だ。半世紀前の朝鮮戦争への出兵以来、戦死者を一度も出したことがなかったカナダでは、〇九年二月の駐留期限を待たずにアフガニスタンからの撤退を求める世論が高まっている。

 そして、火の粉はパキスタンの首都、イスラマバードにまでふりかかった。各国大使館が軒を連ねる閑静な住宅街にある市内の神学校ラル・マスジットに、タリバンと関係が深い武装したイスラム過激派が立てこもり、七月十日から十一日にかけてのパキスタン国軍の強行突入で一〇〇人近くの死者を出す惨事となった。政府の対応への反発が広がるなか、アフガニスタンとの国境地帯を拠点とする武装勢力が政府軍に対する自爆攻撃を宣言し、ラル・マスジット制圧直後の一週間だけで、事件の死者を上回る数の国軍兵士や警察官が殺害される非常事態に発展した。同地域での武力衝突は今も続いており、核保有パキスタンの政情不安がテロ拡散につながる恐れすら出ている。

 米軍の越境攻撃

  新たな火薬庫となったパキスタンアフガニスタン国境地帯の現状を探るため、ラル・マスジット事件から一〇日過ぎた七月二十日、東京からイスラマバードに向かった。到着早々、アフガニスタンで女性一六人を含む二三人の韓国人教会関係者がタリバンに拉致されたという報に接し、地元の報道機関を通して情報の確認を急いだ。この最悪の現地情勢の中で、一目で外国人とわかり、しかも女性多数を含む集団が、タリバンの本拠地でもあるカンダハルに修学旅行気分で出かけたという事実に、耳を疑うしかなかった。

 しかし、韓国人拉致事件は現地メディアでは比較的小さな扱いでしかなかった。武装勢力によるテロ事件のほうがはるかに深刻な問題となっていたからだ。二十三日にアフガニスタン国境地帯への玄関となる北西辺境州(NWFP)の州都、ペシャワルに移動し、関係者との接触を始めた。六年前の同時多発テロ直後の現地取材で訪れたペシャワルと違い、いたるところで軍人の姿が見え、町にはただならぬ緊張感が漂っていた。安全とされてきたペシャワルでも自爆テロが起きていたためだった。

 翌朝午前六時、耳をつんざく轟音で目を覚まし、宿泊していたホテルの屋上に駆け上がると、数キロ先の空軍基地から戦闘機が続々と発進していくのが見えた。ペシャワルから四〇キロ西に進むとアフガニスタンとの国境が現れる。西に向け飛び立ったパキスタン空軍機は国境をなめるように低空飛行を続け、辺境一帯を米軍侵攻以来の緊迫した雰囲気に包んでいた。だが、武装勢力への攻撃には主に武装ヘリが使用され、戦闘機による爆撃は行われていないはずだった。ペシャワルで得た情報では、戦闘機の出撃には、アフガニスタンから越境してくる米軍機を牽制する狙いがあったという。それには理由があった。

 米軍の越境攻撃が最初に確認されたのは六月十九日。ペシャワルの約二〇〇キロ南西にあるアフガニスタンと国境を接する北ワジーリスタン地区の宗教施設が米軍機に爆撃され、三四人が死亡し、多数の民間人犠牲者を出した。北ワジーリスタンでは続く二十二日からも数回に渡る米軍の爆撃があり、少なくとも四〇人が死亡、七〇人以上が負傷した。犠牲者の多くはパキスタンに越冬用の木材を伐採しにきたアフガン側住民だったとされる。その中にタリバン兵がまぎれていたのだろうが、アフガン領への往来が認められているパキスタン側住民にとっては他人事ではなかった。そして、米軍がパキスタン政府から事前に越境攻撃の了解を得ていたと公表すると、武装勢力の矛先はパキスタン軍へと向きだした。

 北ワジーリスタンで政府軍をターゲットにした最初の自爆テロが起きたのは、イスラム過激派がラル・マスジットで篭城を始めた翌日の七月四日。このとき政府軍は一七人の死傷者を出している。ラル・マスジット篭城事件とトライバル・エリア(部族地域。後述)の武装蜂起は偶発的に起きたのではなく、武装勢力の聖域が犯され始めたことに対する反発だったといえる。

 一方の当事者でもある米国は、ラル・マスジット事件後の事態に素早く反応している。七月中旬に作成された、中央情報局など、米国の一六情報機関の総合的情勢分析を示す年次報告書「国家情報評価(NIE)」で、パキスタン国境地帯に潜伏するアル・カイーダの名をあげ、「今後三年間は米国に対する持続的かつ増大する脅威」に直面すると警告した。報告書に署名したブッシュ大統領は七月二十日にラジオ出演し、「もっとも問題とされるのは、アフガニスタンとの国境を接するパキスタンのトライバル・エリアにアル・カイーダが聖域を作ろうとしていることだ」と指摘し、パキスタン軍当局の積極的な介入を促した。さらにマイク・マコネル米国家情報長官は、昨年九月にパキスタン政府がトライバル・エリアの北ワジーリスタンで結んだ武装勢力との休戦協定が、結果的にアル・カイーダの再結成を可能にしたとしてムシャラフ政権を非難し、「ビンラーデンはパキスタンのトライバル・エリアにいると信じている」とたたみかけた。

 米国ではアフガン駐留米軍がトライバル・エリアへ軍事介入すべきだと主張する声が目立ち始めており、米特殊部隊がすでに北ワジーリスタンに潜入しているという情報が絶えない。反米感情反政府運動が結びつくことをなにより恐れるムシャラフ政権は、国境地帯への米軍介入情報の打ち消しに躍起だ。ペシャワルで目撃した戦闘機の出撃は、米国と一線を画していると国民にアピールする、パキスタン政府のパフォーマンスだった可能性が高い。

 トライバル・エリアとは何か

  ブッシュ大統領がアル・カイーダの巣窟と名指したトライバル・エリアは、アフガニスタンと国境を接する七部族地区(トライバル・エージェンシー)及びそれに付随する六辺境区(フロンティア・リージョン)を合わせた地域の総称で、連邦直轄部族地域(FATA)として地域長老らによる排他的な自治が認められ、国家や州政府の権限が事実上及ばない特殊な地域だ。面積二万七〇〇〇平方キロのほとんどが不毛の土漠地帯で、アフガニスタンの多数民族でもあるパシュトゥーン族を中心に約三三〇万人が定住している。旧態依然とした部族社会に加え保守的な宗教観が幅を利かせ、女性は識字率三%に満たず、誰もが全身を隠すブルカを着用する。銀行をはじめ公共機関はほとんどなく、テレビのある家庭は極めて稀だ。そこにあるのは封建的な因習と貧困、そして暴力だけだ。

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トライバル・エリア

 トライバル・エリアの部族自治は同地域が旧英領インドに組み込まれた後の一九〇一年に確立し、地域社会を律する法として根付いている。勇猛なパシュトゥーン族の抵抗でアフガニスタン侵攻を断念した大英帝国が、この地域の住民に自治権を与え、アフガニスタン領内のパシュトゥーン族との団結を阻害させるのが狙いだった。この「分離・統治」の英植民地行政を第二次大戦後に独立したパキスタン政府が踏襲しているわけだが、アフガニスタンは英国が画定した現在の国境を認めておらず、トライバル・エリアは両国間の国境紛争に発展する火種を常に抱えている。そのトライバル・エリアで武装勢力の攻撃が激化しているだけでなく、アフガニスタン紛争の震源地にまでなろうとしている現実に、パキスタン政府が心中穏やかであるはずがない。一歩間違えれば独立運動に発展しかねないからだ。

 それにしても、である。トライバル・エリアの武装勢力は、パキスタンの軍事力をもってしても制圧できないほど強大なものなのか。また、アル・カイーダのアラブ兵らは部族社会でどう生き延びているのか、はっきりとした内情は掴みきれていない。トライバル・エリアの事情に詳しいパキスタン紙『ザ・ネーション』のペシャワル支局長、シャミム・シャヒドゥ氏を訪ね、情報が混乱する国境地帯の現状を尋ねてみた。

「部族社会で影響力を持つのは長老やイスラム導師などで、昨年九月の北ワジーリスタンでの休戦協定も、政府の要請を仲介した長老らが武装勢力との間で交わしたにすぎない。今回の一連の事態で一〇カ月続いた休戦協定は破棄されたため、つい先日、州政府の要請でトライバル・エリアの各地区を代表する四五人の長老が北ワジーリスタンに出向き、武装勢力との調停に乗り出した。しかし、武装勢力は長老らに耳を傾けようともしなかった。南ワジーリスタンでは政府寄りの長老が、首の切断された惨殺体で発見される有様だ。北ワジーリスタンにいたっては完全な無政府状態にあり、他の地区でも武装勢力の影響力が強まっていくのは必至の情勢だ」

 南ワジーリスタンは比較的平和だったが、アブドゥッラ・マスドゥという若いイスラム過激派が自爆テロ候補者を大量にリクルートしだしてから、事態は一変したという。マスドゥはパキスタン南部のバルーチスタン州で、中国の政府援助で建設中のダムの中国人技術者を拉致して殺害するなど、国益を脅かすお尋ね者となった。

 シャヒドゥ氏とのインタビューのニ日後、マスドゥはパキスタン軍に包囲され自爆死を遂げた。アフガニスタン南部のタリバン最大の解放区、ヘルマンド州からパキスタン領内に入ったところで位置を補足されたらしい。その足跡はトライバル・エリアの武装勢力タリバンの密接な関係を如実に示していた。 

国境地帯の支配者

  トライバル・エリアで武装勢力の抵抗が最も激しいのが北ワジーリスタンだ。米軍の空爆もこの地域に集中し、オサマ・ビンラーデンもそのどこかに身を潜めているものと考えられている。この地域とタリバンとの関係をシャヒドゥ氏はこう語った。

「ワジーリスタンはアフガニスタンのパクティア州やホスト州と隣接している。そこは南部のヘルマンド州やカンダハール州と並ぶタリバンの最重要拠点だ。地域を支配するタリバンの指導者はジェラルディン・ハッカーニといい、タリバン政権時代に軍の最高幹部だっただけでなく、部族地区担当大臣としてホスト州の知事も兼ねていた。彼の息子のシラージュッディンは北ワジーリスタンの主要な武装勢力として活動し続けているし、弟はムシャラフ大統領の暗殺を企て逮捕された。つまり武装勢力とはタリバンそのものと言っても過言ではない。米軍は血眼になって彼の殺害を試みてきたが、六年たった今も居場所をまったく特定できていない。彼に庇護されている可能性の高いビンラーデンを探し出すことなどできるだろうか。私は無理だと思う」

 シャヒドゥ氏の口から飛び出したハッカーニという名前に、私は驚きを隠せなかった。なぜなら、今から二一年前のアフガン取材で、私はハッカーニに会ったことがあるからだ。

 ソ連の侵攻から六年が過ぎ、アフガンゲリラの攻勢が一段と強まっていた一九八六年四月。当時七派あったゲリラのうち「イスラム党ハリス派」の従軍取材が許可され、彼らの本部拠点があった北ワジーリスタンの行政首府がおかれるミランシャーに向かった。そこで知り合ったゲリラ司令官のハッカーニの案内でアフガニスタンに潜入し、最前線での惨たらしい戦争を目撃した。

 ハッカーニの正体を明らかにする前に、三〇年近く続くアフガニスタン紛争の流れを簡単に振り返ってみたい。

 七九年末のソ連軍の侵攻を機に、米国やサウジアラビアから財政支援を受けたムジャヒディーン(聖戦士)と呼ばれるゲリラがトライバル・エリアを拠点に活動を始め、八九年にソ連を撤退に導いた。三年後の九二年四月に、タジク族のゲリラ派閥だった「イスラム協会」を中心にアフガニスタン・イスラム共和国が成立したが、これに多数民族のパシュトゥーン族ゲリラが反旗を翻し、血で血を洗う殺戮を繰り返した。この混乱に終止符を打ったのがムハンマド・オマル率いる神学徒集団タリバンであり、彼らを軍事支援したのがパキスタンの軍特務機関ISIだった。

 ISIはムジャヒディーンの育ての親としても知られる。ISI本部近くにあるラル・マスジットは、ソ連に対する“聖戦(ジハード)”を正当化する場として、当時のジア・ウル・ハク軍事政権の積極的な支援を受けていた。ISI幹部らは日常的にラル・マスジットで礼拝をしていたという。ラル・マスジットが反政府的な過激派集団に変質するのは、米同時多発テロ後にムシャラフ政権が米国の対テロ戦の隊列に加わり、タリバンに同調するイスラム過激派を切り捨て始めてからだ。だが、二〇年近く外交の駒として活用し続けてきたイスラム過激派を、一朝にして消し去ることなどできない。パキスタンは今になって、タリバン化という大きなツケを払わされている。

 話を二一年前のハッカーニに戻そう。ハッカニ司令官が所属していたハリス派の指導者、ユヌス・ハリスは、七派のなかで最も厳格なイスラム導師として知られ、彼を慕ってアラブ全土から義勇兵が集まっていた。アル・カイーダが結成される前の八六年時点で、私は二〇人以上のアラブ兵やエジプト人医師をハリス派の施設で目撃している。当時のゲリラ勢力が解放区にしていたのは、国境近くに聳える標高四〇〇〇メートルを超すスピンガル山脈の麓にあるジャジ、それにソ連空軍基地があったホスト市に近いジャワルという場所に築かれた要塞化した洞窟群だった。シャヒドゥ氏によるとビンラーデンと最も近い派閥もハリス派で、私が目撃したジャワルの要塞はビンラーデンが建設したものだった。

 タリバンの指導者オマルも、ハリス派の一平卒としてソ連とのゲリラ戦に参加し右目を失明した経歴を持つ。そして、タリバン政権に匿われたビンラーデンはパキスタンとの国境地帯に難攻不落の要塞を建設した。一つはスピンガルの麓のトラボラ地区にある洞窟を改造して築き上げた巨大な地下要塞。そして、もう一つがジャワルだった。

 ジャワルは九八年八月に発生したケニヤとタンザニアの米大使館同時爆破テロの報復として、クリントン政権が約八〇発のトマホーク・ミサイルを打ち込んだ場所としても知られる。いずれの施設もハッカーニの支配地域にあったことを考えると、二人の絆がいかに強いか容易に想像できる。しかも、その関係は今も続いているのだ。

 アル・カイーダが築いた要塞は米軍の爆撃で破壊され尽くしたが、スピンガルやジャワルに隣接する国境地帯には無数の洞窟が散らばり、一つ一つを捜索しながら武装勢力を掃討するのは困難だ。米軍がいまだに国境地帯のタリバンを制圧できないでいるのは、この地で敗北を喫した旧ソ連軍と同じ地理的事情による。地の利を生かし地虫となって抵抗するアフガンゲリラは、トライバル・エリアからいくらでも補強することができる。

 タリバン復活の背景

  パキスタンの“タリバン化”に直面している宗教指導層の考えを聞くため、ペシャワル旧市街にある代表的な神学校、ダルル・アルーム・サルハドゥの指導者であるビノリ師を訪ねた。だが、彼は言葉を慎重に選び、こう語るだけだった。

イスラムの教えに自爆テロを正当化させる内容はどこにもない。彼らがいわゆるテロリストに変身していく過程には、宗教以前の問題があるのではないか。妙な例えに聞こえるかもしれないが、疫病患者が増えだし、疫病を撲滅するために患者を殺害するといっても、患者の親族が納得できるわけがない。それと同じことがトライバル・エリアで起きている。相互不信を解消しようとしない限り、事態を好転させる道は見えてこないだろう」

 ビノリ師は旧市街の外国人の一人歩きは危険だと忠告し、タクシーを拾える場所まで付き添ってくれた。四〇度のうだるような暑さのなか、ゴミ溜め場のような不潔な場所に人々が座り込んでいる姿が目に飛び込んできた。思わず目を背けたくなる光景を前にビノリ師は、「彼らが未来にどれほどの期待を持てると思いますか?」と私に尋ねてきた。救いようのない貧困が、テロの連鎖を生み出しているように思えた。

 タリバン政権時代にAP通信社イスラマバード及びカブール支局長を兼務し、一八年間のアフガン現地取材をまとめた『異教徒のI』の著者、キャシー・ギャノン氏は、壊滅の危機に瀕したタリバンが復活した背景について、イスラマバード市内でこう語った。

「アフガン戦争でタリバン政権が崩壊すると、タリバン寄りと思われていたカンダハールやパクティアのパシュトゥーン族住民たちでさえ、誰もが自由な時代になると期待に胸を膨らませた。ところが、新政府の知事や政府官僚、警察署長などの特権者が蓄財に走り、目にあまる腐敗が横行しだした。庶民のあいだに政府や社会に対する不満が拡散していたのに加え、国際治安支援部隊の強引な取締りが感情悪化を招いてしまった。封建的なアフガン人の家に外国の兵士が土足で踏み込めば、敵意を抱かれるに決まっている。そこへ誤爆の被害が重なった。今年の春、カンダハール市内で出会った男性は、自宅を爆撃されて母親、妻、五人の子ども、同居の兄弟を一瞬にして失い、『今はタリバンになることしか考えていない』と吐き捨てるように言った」

 ある村からタリバン兵が迫撃砲を発射すれば、即座にその地域が空爆に曝され、結果的に民間人に犠牲者がでる。その犠牲者の家族がタリバンに加担するという悪循環の繰り返しだ。ヘルマンドカンダハールが世界最大の阿片の生産地と重なることから、タリバン復活の背景と麻薬を関連づける報道が目立つが、こうした見方にギャノン氏は懐疑的だ。

「麻薬の栽培がタリバンの勢力拡大に有利に働いているのは事実。しかし、もし彼らが麻薬取り引きを仕切っているなら、すでに地域を完全に掌握していなくてはならない。警察や州政府官僚の協力なしに、四〇〇〇トンもの麻薬を流通させることなどできないからだ。現政権の主軸をなす旧北部同盟の有力者の多くが、九二年から二年間続いた内戦で五万人ものアフガン人を虐殺した犯罪の過去があることを忘れないでもらいたい」

 腐敗した社会の底辺に巣くうタリバンが、アフガニスタンを再び泥沼の混沌に導こうとしている。そして、テロリストの生産拠点となったトライバル・エリアでは、今も自爆テロの志願者が列をなして待っている。